萩焼のお手入れ方法と使い方|萩焼
昔から、茶道具の焼き物の等級を表わす言葉に「一楽、二萩、三唐津」というのがあります。萩焼、唐津焼は朝鮮半島の高麗茶碗が原型です。
文禄・慶長の役で日本に渡った朝鮮の陶工李勺光と李敬の兄弟が、関ヶ原の戦いで元々の広島から山口県の萩に移された戦国大名、毛利輝元に迎えられ、萩藩城下の松本村に御用窯を開いたことで萩焼の歴史が始まります。彼らは朝鮮式の登り窯で主として茶陶を焼成しました。
弟の李敬は1625年に坂高麗左衛門の和名を藩主よりいただき、松本萩の陶祖となりました。兄の李勺敬は1653年に深川村に分窯して、深川萩誕生させたのです。双方とも茶碗を主体に茶道具を焼き続けてきました。
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明治以降の萩焼
藩の保護を受けて焼かれていた萩焼も、明治維新の変革で後盾を失い、衰退していきました。しかし、明治後期に入って日本の伝統文化が再び見直されるような風潮が生まれ、同時に茶道がブームとなり、深川焼き12代坂倉新兵衛が表千家に入門し、萩焼と茶の湯の結びつきを強調し、一気に知名度を上げました。
萩の七化け
茶人に愛された萩焼の茶わんは、山口県下の防府で掘り出される白色粘土の大道土と言われる粗く、ざっくりとした陶土に、藁灰で調合した白濁釉や土灰による透明な釉をかけて焼きます。そのため淡雪の様な優しい白や細かい貫入のある枇杷色の肌の器ができます。長く使うとお茶が浸透し、器の内外の色が少しずつ変化し、使い込むほどに使い手に寄り添った味わいが深まります。その肌の色合いの変化を、焼き物好きの人たちの間では「萩の七化け」と呼んで、萩焼を楽しんでいます。
その柔らかみのある器は茶道のわび、さび精神に通じるところがあり、萩焼の茶わんは茶道の世界でもとても人気のある器です。
萩焼は土の風合いを活かしたものが多く、絵付けなどの装飾はほとんど行われません。土の配合、釉薬、ヘラ目、刷毛目、焼成の時の炎の効果などで独特の素朴さが生み出され、色彩も、枇杷色、褐色、灰青色、白色など限られていることも特徴の一つです。
茶碗の胴や腰をのせている輪型の部分を高台といい、この高台の一部を切り取った切り高台も萩焼の特徴の一つだと言われています。
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陶器のお手入れ方法と使い方|陶器
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陶磁器のお手入れ方法と使い方|陶磁器
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京焼のお手入れ方法と使い方|京焼
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備前焼ははるか昔、古墳時代に朝鮮から伝わって作られていた須恵器が進化を遂げて製作された焼きものと言われています。この須恵器が、各地に根をおろして、備前焼き、越前焼、信楽焼き、瀬戸焼、丹波焼、常滑焼などの元となったのです。備前市伊部で作られていた須恵器が、鎌倉時代中期に備前焼と言われるようになり、後期...
萩焼のお手入れ方法と使い方|萩焼
昔から、茶道具の焼き物の等級を表わす言葉に「一楽、二萩、三唐津」というのがあります。萩焼、唐津焼は朝鮮半島の高麗茶碗が原型です。文禄・慶長の役で日本に渡った朝鮮の陶工李勺光と李敬の兄弟が、関ヶ原の戦いで元々の広島から山口県の萩に移された戦国大名、毛利輝元に迎えられ、萩藩城下の松本村に御用窯を開いたこ...
美濃焼のお手入れ方法と使い方|美濃焼
岐阜県多治見市、土岐市、瑞浪市、可児市などこの一帯は日本の陶磁器の一大産地で、茶道具から日常食器まで何でも揃い、現代和洋食器の国内生産の半分以上も占めている地域です。隣接する愛知県瀬戸市とは歴史的にも焼きものの技法的にも交流し深い関係があります。美濃焼の歴史ははるか昔、古墳時代の須恵器に遡ります。平...
笠間焼のお手入れ方法と使い方|笠間焼
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小石原焼のお手入れ方法と使い方|小石原焼
小石原焼の歴史は1669年、高取八之丞が中野小石原皿山で陶土を見つけ窯を築き、甕やすり鉢を焼き始めたことで始まります。その後1682年に黒田藩三代目藩主光之が肥前に伊万里の陶工を招き高取八之丞とともに中国大明の製法に基づいて磁器が作られました。製品は庶民が使う日用雑器が中心で、小石原焼は地名にちなん...
伊万里焼のお手入れ方法と使い方|伊万里焼
日本で、初めて磁器が焼かれたのは豊臣秀吉の朝鮮出兵後の有田であるといわれています。朝鮮半島に出兵していた鍋島直茂が陶工たちを捕えて日本に連れ帰りました。朝鮮の陶工は有田の泉山で陶石を見つけ、窯を開き磁器を焼き始めました。その窯で焼かれた磁器は近くの伊万里港に運ばれ、船で全国に販路を求めました。この時...